グスコーブドリの伝記
宮沢賢治の名作が、また杉井ギザブローで映画化と聞いて。
でも正直期待はずれだったというか原作殺しだったというか
デジタルアニメをわざわざスクリーンまで観に行くこともなかったかなというか
えーっとそんな印象でした。
全体的に繋ぎが雑で、展開が唐突な印象。
眉毛って重要だなーと思った。表情の変化を表すという点においてね。
見終わった後に青空文庫で原作も読んだけど
映画で「?」となったところが、ちゃんと伏線として張られていたり
丁寧に表現されていて、なんだアニメ化は改悪かーって気分になりました。
具体的に言えば
- ネリの行方
- てぐす工場とはなんだったのか
- あの魑魅魍魎はなんだったのか
- 火山局に勤めるよう言われた理由
- 父と母の行方
あたりでしょうか。
まずネリの行方、というかそもそもネリに何が起こったのかということ。
映画だけだと、抽象的な"山の神"的なものにさらわれたように見えて
しかも結局最終的な結末に関わってこないため
「あれは飢えで死んだの?」というモヤっとした感じで終わりました。
ついでに言うと、効果が非常にファンタジー的なものであったため
番宣でのあおり文*1と相まって、千と千尋的なストーリーを期待してしまいました。
原作だと、ブドリはちゃんとネリと再会してるんだよね。
ネリと再会して幸せを掴んだ上で、飢饉を回避するために自ら火山に飛び込むわけで。
えー、一番大事なとこ台無しやん!という印象。
てぐす工場も、なんか映画版だと夢オチみたくなってましたが
原作だと、火山の灰が原因でダメになっているのですよね。
それが後半の、火山局の話に繋がっていくわけで。
ブドリが火山局に配属された理由も、クーボー博士の提示した問題を
もっと火山に関係ありそうなものにしたら、通りもよかったろうにと思いました。
(原作では「煙の色にはどんなものがありますか」というくだりがあったはず)
魑魅魍魎や裁判のくだりは、原作にはない部分で
余計現実離れしてしまう一因になったのではという印象。
ファンタジー色よりも、もっと原作に忠実に現実を厳しく描いていったほうが
「この時期に災害に立ち向かう物語をやる意味」はあったのではないでしょうか。
というか、最後のブドリの行動が"自らの意思か"どうかをもっとしっかり見たかった。
結局よくよく考えてみると、筋を追う映画ではなかったのかなーという。
じゃぁ何を楽しむかって、画としての美しさなんでしょうけど
私個人の話で言えば、セル画大好きのデジタルアニメやCG苦手な人種なので
なんだかどうもそこにも感動できなかったなーという結果になりました。
魑魅魍魎の建物シーンの異化効果的なのとか、あざとくて好きじゃない。
劇団イヌカレーさんくらいやってくれれば別なんだけどさ。
うーん。
セルアニメ映画は劇場までわざわざ行くまでもないかなという結論が出てしまいました。
でも『おおかみこどもの雨と雪』は気になってる。。。
【追記】
他の方のレビューを読んでいたところ
『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』が
魑魅魍魎シーンの手がかりとなるとの記述を発見。
恥ずかしながら未読なので、あとで読む。
*1:厳しい自然の中で、愛する故郷や人々を守るため強い心で困難に立ち向かう主人公ブドリの姿を描く