忘れながら生きてる

観劇や読書の備忘録。基本ネタバレ全開。敬称略でごめんね。

たすいち『ノンタイトル』

書くことでの昇華と発散と切実さ。
……あと、共依存こわいね。

今までも色々な劇団で何作か自叙伝的な作品は観てきたけど
(鵺的『丘の上、ただひとつの家』などもそうかな)
やっぱりこういうものは書き手のキャラクターが出るな、と。
漫画家を描く漫画や劇団物の演劇となるとハードルが上がるタチだけど
今作は不思議と、いやな気持ちにならず
また、斜に構えることもなく観ることが出来た。

あまりこういうパターンの作品を多く知らないからか
キャラメルボックスの『スケッチブックボイジャー』を思い出した。
観たことあるのキャラメルがやったやつじゃないけど。

なんかとにかく共依存ってこわいねって思ったんだけど
感想ツイートなど検索しても、このワードを使ってる人がいなくて意外。
「かわいそうな人」を助けることで自分の居場所を作る。
依存する二重人格の彼女の言い分が痛いほどわかりすぎて
たぶんそこ本筋じゃないんだろうけどそればかり覚えている。

結局「ハッピーエンドとして無理やり用意したエンド」が
ある意味物語の着地点にもなっていることが、なんだか切なくもあった。
作家がどう思うにしろ、あの“つくりもののハッピーエンド”がなければ
納得して帰れなかっただろうからなぁ。観客の気持ちとしては。

私けっこう高校演劇やってる人とか苦手だったんだけど
これはよかったなぁ。なんでだろう。
エンタメに特化してたのはもちろん一因ではあるんだろうけど
なんというか切実さと、それでいて押しつけがなかった感じが
不思議と心地よかったのかもしれません。
そういう意味で、長井役の倉持陽一氏がよかったのでしょう。


『神通科学女子高生探偵 玲子』でハート持ってかれた白井肉丸さんが
(客出しの時に「あ、女子だったんだ…」と思ったのは内緒)
今回もとてもカッコよくてよかったです。