忘れながら生きてる

観劇や読書の備忘録。基本ネタバレ全開。敬称略でごめんね。

どん底

ロシア産の暗い不条理劇を軽快に。
しかし最後に胸に落とされるのは重い鉛のような何か。


↓以下ネタバレ有


終幕のカチューシャの歌が本当に見事でした。ずーっと頭の中で巡ってます。
メロディーは、ラーメンズの『プーチンとマーチン』のあの曲。ロシア民謡です。
三上さんはサックス吹くし段田さんはフルート吹くし、本当に壮観でした。
イヌコさんの裏声は本当に澄んで響くし。時々自動の人たちの演奏も場に合いすぎ。


ずっと何年も観たかった舞台、やっと念願叶いました。
初めて私がこの劇を知ったのは手塚治虫七色いんこで。小学生の頃かな。
本当はどんな劇なんだろう、でも外国の劇だしな…と観るのは若干諦めていました。
そんな時にケラさんがどん底やるって聞いて。キャストも本当に粒ぞろいで。
これは観に行くしかないな、と思いました。
S席で安価で観れて本当に嬉しかったです。


私はあんまり群像劇は好みではないんですが*1、どん底は最高でした。
原作は知りませんが*2前半はペーペル、後半は男爵(よりも巡礼?)を軸にしながら
どの登場人物も活き活きと人間らしく、厚みがあって愛しい存在として描かれていて
そこに時代の哀しさ、運命の理不尽さが加わり、胸をうつものになっていました。


ケラさんの言葉は魔法みたい。生きてるんだよね、人間がそこに。
2008年の日本にペーペルやナターシャがいるわけ。生きているわけ。
もちろんそこは役者の技量も多分に影響してくるわけなんだろうけど。
最近大学の講義でシェイクスピアについてやってて、翻訳について
「今の君たちの言葉にしなきゃならない、渋谷や池袋にいる若者と同じような」
なんてことを言ってたけど、それは違うと思うんだよね。
シェイクスピアの劇中人物がいる場所が置き換えて渋谷ならそうなんだろうけど
世田谷かもしれないし、水戸かもしれないし、柏かもしれない。
そこを見極める行為から入ってかなきゃいけないんじゃないかと思います。*3
ん~、話がそれてしまったけど、本当に私たちが使ってる言葉で
ロシアの暗い重い渦巻く闇が表現されていたのに感動したってことです。
軽快な日本語遊びも多かったよね。「草木も眠る…」「それは丑三つ時!」とか。
原作にそういった遊びがあるのかはわかりませんが
こういう日本語での遊びがあったからこそ
現代の自分たちに置き換えても感情移入したりできたのかな、と思います。


登場人物で一番私の目を引いたのはマギーさんの帽子屋でした。
あれ、もしかして初めて生で観たのかな?すごく好きなタイプの演技です。
彼の淡々とした諦観というか、スタンスにとても心を動かされました。
マリアが死んでしまった時の「おい、本当に死んじまったのか?」ってシーンとか。
今回のMVPはやっぱり巡礼役の段田さんでしょうか。本当にすごい方だ。
ぐいぐい引き込まれていく演技です。軽妙で、それでいて掴んで離さない。
というか今回はキャストさんを一人一人褒めだしたらキリがないですね。
誰がみたいという訳で行ったのでもないのに全員に余すとこなく魅せられました。


キャストもすごい人がそろってるし、ケラさんの魅せ方も上手い。
ペーペルや巡礼は後半はほとんど出てこないし、サーチンや新入り兄弟は
後半が一番の見せ場で他はずいぶんと影が薄いのだけど
だからといって他では空気というわけでは全くなくて。
逆に全般を見守る帽子屋やチョロチョロ絶え間なく出てくる役者やナースチャも
こいつらばっか…というような印象は全く与えられなかったです。
群像劇でこんなに全員に引き込まれたのは初めてで、ちょっとびっくりです。


久しぶりに大きな劇場で観た大当たりだったな、という気がします。
私の大好きな日本の昭和物に通じるものがあるのかもしれませんね。
結局お上にゃ逆らえん、ボロきれまとって愚痴ばかりだけどなんとかやってる日々。
だけども胸には熱いものが燻ってて、それがある日何かをきっかけに暴れだす。
その結末は幸せとは限らないのだけれども……。

*1:作家の力量がないと"その他大勢"が存在感してそれが嫌なのです

*2:元の脚本買おうと思ったらパンフで金使い果たしたorz

*3:まぁ例えば"ロミオとジュリエット→ウエストサイド物語"のように完全にベースとしてしか扱わないんなら話は別でしょうが